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横浜地方裁判所 平成10年(モ)1186号 決定 1998年7月17日

申立人(被告)

山形県

右代表者知事

高橋和雄

右指定代理人

大沼孝一郎

外三名

右訴訟代理人弁護士

古澤茂堂

内藤和暁

相手方(原告)

柿﨑惠子

外三名

右四名訴訟代理人弁護士

安田英二郎

町川智康

主文

本件を山形地方裁判所に移送する。

理由

一  申立ての趣旨

主文と同旨

二  申立ての理由

1  本件は、相手方らの被相続人である柿﨑豊昭(以下「亡豊昭」という。)が、山形県新庄市所在の山形県立新庄病院(以下「本件病院」という。)において経皮経肝胆道造影検査(PTC、以下「本件検査」という。)を受けた後、肝臓右葉の壊死により死亡した事故(以下「本件事故」という。)につき、相手方らにおいて、本件病院の設置者である申立人に対し、担当医師らの本件検査の過誤等を理由に不法行為ないし債務不履行による損害賠償を求めている事案である。

2  被告である申立人の普通裁判籍及び本件事故が発生した不法行為地を管轄する裁判所は、いずれも山形地方裁判所であり、相手方のうち亡豊昭の妻として法的相続分の最も多い相手方柿﨑惠子の義務履行地を管轄する裁判所も同様であるのに反し、当庁は、相手方鈴木昭子の義務履行地を管轄するにすぎない。申立人としては、本訴において、担当医師らの本件検査の過誤等ないし被告の責任原因を争うものであり、本件事故当時の医療関係者である医師二名及び看護婦二名の中から証人尋問を申請し、医療器具等の検証の申請も考慮しているが、尋問を受けるべき証人の住所及び使用すべき検証物の所在地は、いずれも山形県内にあり、本件の審理に不可欠な人証と考えられる相手方柿﨑惠子の住所もまた同様である。本件を当庁で審理することになれば、審理に時間と手間を要し、裁判所の負担を加重することは必至であるばかりでなく、交通費その他の費用及び時間の点において、申立人に一方的に過大な負担を課することになる。

3  そこで、申立人は、訴訟の著しい遅滞を避け、かつ、当事者間の衡平を図るため、民訴法一七条に基づき、本件を山形地方裁判所に移送することを求める。

三  相手方らの意見

1  医療過誤事件においては、証人である医師等に対する主尋問を行った後は、尋問調書の完成を待ち、医師等の専門家の意見を聴いた上で、反対尋問を行うのが通常であるから、証人の住居地を管轄する裁判所に継続しなくても、訴訟が特に遅滞するわけではない。また、尋問を受けるべき証人の住所が山形県内にあっても、現在の交通事情の下では、当庁での尋問後、その日のうちに帰ることも可能である。一方、相手方らが本人尋問を申請予定の相手方鈴木昭子は横浜市内に、相手方内田喜恵子は埼玉県内にそれぞれ住所を有している。本件の争点については、鑑定も予想されるが、山形県内から鑑定人を選任することは困難かつ不適当であり、東京周辺の鑑定人を選任せざるを得ないから、交通の便の良い当庁の方が訴訟の促進に資する。

2  相手方らは、当初、山形県内で弁護士に委任しようとしたが、医療過誤事件という特殊性に加え、山形県という地方公共団体を相手とする訴訟であるため、受任する弁護士を見つけることができず、相手方らの中で中心的な役割を果していた横浜市在住の相手方鈴木昭子において、最寄りの医療過誤弁護団に相談した結果、横浜弁護士会所属の弁護士である本件訴訟代理人に委任し、当庁に提訴したものであって、山形県内において改めて訴訟代理人を選任することは困難である。相手方鈴木昭子は、会社員の夫と三人の子がおり、夫の年収は税込みで約七七〇万円であるが、家賃のほかに相手方柿﨑惠子のための自宅建築ローンの返済もあり、五年後には夫の定年退職を迎えるため生活に余裕はない。相手方内田喜恵子も、夫と三人の子がおり、同じく経済的な余裕はなく、相手方柿﨑芳明は、現在肩書住所地に妻と二人の子と同居し、相手方柿﨑惠子の生活費を援助している状況にある。相手方柿﨑惠子は、足が悪いが、付添いがいれば当庁に出頭することも支障はなく、自ら望んで当庁に本訴を提起したものである。このように、相手方らは、経済的弱者である一市民であって、山形地方裁判所での審理を選択すれば、仮に口頭弁論、証拠調べ等のため今後一五回ほどの期日に二人の訴訟代理人が往復するとして試算すると、その交通費、日当等だけでも二一五万円余の過大な経済的負担を余儀なくされ、実質的に裁判を受ける権利を失うことになるのに対し、申立人は十分な資力のある地方公共団体であるから、相手方らの利益を重視すべきである。

3  以上の諸事情に照らせば、本件移送申立てを認容することは、かえって訴訟の著しい遅滞を招き、当事者間の衡平を害するものというべきである。

四  当裁判所の判断

1  本件は、相手方らの被相続人である亡豊昭が、山形県新庄市所在の本件病院において本件検査を受けた後、平成八年五月二一日、肝臓右葉の壊死により同病院において死亡した本件事故につき、相手方らにおいて、本件病院の設置者である申立人に対し、担当医師らの本件検査の過誤等を理由に不法行為ないし債務不履行による損害賠償を求め、申立人において、担当医師らの右過誤等ないし被告の責任原因を争っている事案である。相手方鈴木昭子の義務履行地は肩書住所地であるから、相手方らが共同訴訟人として提起した本件について、当庁はその管轄権を有するが(民訴法七条ただし書)、他方、被告である申立人の普通裁判籍及び本件事故が発生した不法行為地を管轄する裁判所は、いずれも山形地方裁判所であり、相手方のうち亡豊昭の妻として法定相続分の最も多い相手方柿﨑惠子の義務履行地を管轄する裁判所もまた同様である。

2  本件記録によれば、以下の事実が認められる。

(一)  相手方らは、横浜弁護士会所属の弁護士である本件訴訟代理人に委任して本訴を提起し、訴状において、担当医師らが、亡豊昭の症状からは原発性胆汁性肝硬変症等を疑うべきであったのに、胆管結石を疑って必要のない本件検査を施行し、右検査の過程において手技上の過誤を犯したことに本件事故の原因があり、身体に対する侵襲の度合いが高く危険な本件検査の必要性及び危険性についての説明義務違反もあると主張している。

(二)  これに対し、申立人は、山形県弁護士会所属の弁護士である本件訴訟代理人に委任して応訴し、答弁書において、本件検査を誘因として亡豊昭の肝臓右葉の壊死が生じ、これが直接死因となったことは事実であるが、その原因は不明な点が多く、原因究明のため解剖を勧めたが家族の同意が得られずに施行できなかったものであって、当時の一般的検査順序からしても、胆管結石を疑い本件検査を施行したことは相当であり、右検査の手技と肝臓壊死との間に相当因果関係があるとはいえないなどとして、申立人の責任原因を争っている。

(三)  本件検査は、胆道疾患や肝臓疾患の診断と治療を目的として、細長い針を使用して皮膚から肝臓を突き抜け肝内胆管又は胆のうを穿刺し胆道内に造影剤を直接注入してレントゲン撮影を行う検査であり、肝しゅようなどでは適応と実施に慎重な態度が必要とされ、肝不全症例などには禁忌とされている。亡豊昭に対しては、主治医である本件病院の医師白幡名香雄が右検査を担当し、医師八戸茂美がこれに立ち会い、看護婦の柴崎奈緒子と奥山絵美がその治療に関与した。

(四)  申立人は、本件争点の立証のため、右四名の中から証人尋問の申請を予定しているほか、本件事故の現場、医療器械等の検証の申請も考慮しているところ、右四名はいずれも山形県内に居住し、使用すべき検証物の所在地も同様である。相手方らは、現在のところ、亡豊昭の妻として肩書住所地に同人と同居していた相手方柿﨑惠子(両膝関節機能障害を有する身体障害者等級表六級の身体障害者)のほか、長女で本件訴訟の中心となっている相手方鈴木昭子と二女の相手方内田喜恵子の三名について本人尋問の申請を予定している。

3  そこで、以上の事実に基づき、民訴法一七条にいう移送の要件について判断する。

(一)  訴訟の著しい遅滞を避けるための必要性について

本件訴訟においては、申立人の責任原因の存否が争われており、中心的争点である担当医師らによる本件検査の施行及びその手技の当否等について判断するためには、亡豊昭の死亡直前の状況及び診療行為の具体的内容を明らかにすることが必要であると考えられる。申立人は、本件病院の主治医である医師と立会人である医師のほか、亡豊昭の治療に関与した看護婦二名の合計四名の中から証人尋問の申請を予定し、本件事故の現場、医療器械等の検証の申請も考慮しているところ、右四名すべての証人尋問が必要であるかはにわかに断定し難いが、右四名はいずれも山形県内に居住しており、使用すべき検証物の所在地も同様である。また、亡豊昭の妻として肩書住所地に同人と同居しその死亡直前の状況を最も知り得る立場にあったと考えられる相手方柿﨑惠子については、相手方らが本人尋問の申請を予定しており、本件の争点に関しても尋問が及ぶことが予想されるが、相手方柿﨑惠子は、両膝関節機能障害を有する身体障害者であって、同じく山形県内に居住している。以上の証拠調べを当庁において実施することになれば、証人等が裁判所に出頭するために多大な労力をかけ、当事者にも相当多額の出費を強いることになり、当庁が遠隔地に赴いて証拠調べを実施することになると、時間と手間を要し、負担を加重することにもなる。遠隔地に居住する証人については、映像等の送受信による通話の方法による尋問も可能であるが(民訴法二〇四条、民訴規則一二三条)、本件事案の内容等にかんがみると、本件において、尋問を受けるべき証人等の全部につき右のような方法をとることが相応しいかは、なお検討の余地があると考えられる。

相手方らは、証人である医師等に対する主尋問を行った後は、尋問調書の完成を待ち、医師等の専門家の意見を聴いた上で、反対尋問を行うのが通常であるから、証人の住居地を管轄する裁判所に係属しなくても、訴訟が特に遅滞するわけではない旨主張するが、右主張は、要するに、医療過誤事件において医師等の証人尋問の実施に一般的に時間を要することを指摘するにすぎない。著しい遅滞を避けるために移送が必要であるか否かは、訴訟の完結時期の見込みいかんにかかっており、その判断に当たっては、尋問を要すると考えられる証人の出頭の難易その他必要な証拠調べの難易も重要な考慮要素となる。また、相手方らは、尋問を受けるべき証人の住所が山形県内にあっても、現在の交通事情の下では、当庁での尋問後、その日のうちに帰ることも可能であると主張するが、山形県内に住所を有する証人が当庁に出頭するには片道四時間以上を要するため、山形地方裁判所で尋問を実施する方がはるかに尋問期日の日程調整等においても便宜であることは明らかである。さらに、本件の中心的争点については、鑑定の実施も一応考えられるところ、相手方らは、山形県内から鑑定人を選任することは困難かつ不適当であり、東京周辺の鑑定人を選任せざるを得ないとして、交通の便の良い当庁の方が訴訟の促進に資する旨主張する。しかし、一般的に、本件のような医療過誤事件における鑑定人の選定に当たっては、必ずしも受訴裁判所の管内あるいはその近辺に居住する者等に限定されることなく、鑑定事項の内容、専門分野等に応じ、当該鑑定に必要な学識経験を有する者の中から最適任者を選任すべきものであり、遠隔地の鑑定人であっても、宣誓書を裁判所に提出する方式による鑑定人の宣誓(民訴規則一三一条二項)などの活用により、当事者の労力、出費面での不利益を回避、軽減する余地も考えられるから、右主張の前提そのものが主肯し難い。

以上によれば、本件訴訟を当庁において審理、裁判すると、相手方らが主張する山形地方裁判所で審理、裁判する場合に比し、訴訟の完結までに著しく時間を要し、著しい遅滞を招く蓋然性が高いものというべきである。

(二)  当事者間の衡平を図るための必要性について

前記事実に照らせば、申立人は、本件訴訟を当庁において審理、裁判することにより、訴訟の追行に関わる労力、出費等の点において不利益を受けるが、相手方らの中でも、亡豊昭の妻として同人の死亡直前の状況を最も知り得る立場にあったとして本人尋問が見込まれる相手方柿﨑惠子は、両膝関節機能障害を有する身体障害者である上、亡豊昭の死亡により経済的困難に直面していると考えられるから、本件訴訟を当庁において審理、裁判することにより、訴訟の追行に関わる労力、出費等の点では右同様の不利益を受ける立場にあると一応考えられる。もっとも、相手方柿﨑惠子は、付添いがいれば当庁に出頭することも支障はない旨主張するが、本人及び付添人が要する労力、出費を比較したとき、当庁に出頭する場合の方が山形地方裁判所に出頭する場合より大きいことは容易に推測し得るところである。一方、相手方らは、横浜弁護士会所属の弁護士である本件訴訟代理人に委任して当庁に本訴を提起し、亡豊昭の長女で本件訴訟の中心となっている相手方鈴木昭子は横浜市に在住しているから、家族構成、収入等を併せ考慮すれば、相手方らは、山形地方裁判所において本件訴訟を追行すると、当庁で訴訟追行する場合に比較し、労力、出費等の点において不利益を受ける面のあることは否定し難い。しかし、証人が裁判所から遠隔地に居住する場合は、その出頭を確保することに困難が伴い、当事者が予納すべき旅費、日当費の出費が多額になるし、使用すべき検証物の所在地が遠隔地の場合には、裁判所外での検証の場合に当事者が予納すべき費用が多額になるなど、証人や使用すべき検証物の裁判所からの遠近は、当事者間の衡平の有無を検討する上でも重要な考慮要素になるから、本件において、先に検討したように尋問を受けるべき関係証人及び相手方柿﨑惠子がいずれも山形県内に居住し、使用すべき検証物が同じく山形県内に存在しているとの点は、当事者間の衡平の面においても考慮しなければならない。

相手方らは、本件につき、山形地方裁判所での審理を選択すれば、山形県内において改めて訴訟代理人を選任することは困難であるとか、経済的弱者である一市民に過大な経済的負担を余儀なくさせ、実質的に裁判を受ける権利を失わせることになるとか、申立人は十分な資力のある地方公共団体であるから、相手方らの利益を重視すべきであるなどと主張し、本件記録によると、相手方らは必ずしも経済的な余裕はないことがうかがわれる。しかし、相手方らにおいて、例えば、山形地方裁判所に出頭して訴訟追行を行うことがより容易な弁護士を訴訟復代理人に選任するなどの方法をとることが困難であるとの点については、その的確な証拠を欠くし、民訴法一七条の要件の判断に当たり、当事者双方の経済力が考慮要素となるとしても、本件では、前記のとおり、相手方らの中には、現に山形地方裁判所で本件訴訟を追行した方が労力、出費等の点で不利益が少なくなる立場にある者もおり、また、本件のような通常民事訴訟における管轄裁判所の決定に当たり一方当事者が地方公共団体であることを殊更重視することは相当ではないから、相手方らの右主張は採用の限りではない。

以上の事情を総合勘案すれば、本件訴訟を当庁において審理、裁判すると、山形地方裁判所で審理、裁判する場合に比較して、訴訟の追行に関わる労力、出費等の点において当事者間の衡平を害することになるといわざるを得ない。

4  結論

よって、申立人の本件移送申立てを相当と認め、民訴法一七条により、本件を山形地方裁判所に移送することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官篠原勝美 裁判官板垣千里 裁判官田中寛明)

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